呑竜恋歌

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



呑竜に毎夜響くカラオケの音。



耳を澄ませば、懐かしの昭和歌謡が多いわね。



それもそのはず、呑竜でカラオケを楽しむのは、この道何十年のベテラン客。カラオケ・ボックスなど無かった時代にスナックや酒場でカラオケに親しんできた人達。足げくお店に通い、時代の中で“グッ”ときた曲を...見つけては...歌い...見つけては...歌い...そしてわりと早くに気に入った曲が固定され...ある時から決まったレパートーリーを歌い続けてはや何十年。平成の呑竜の夜に昭和の歌が溢れてるのはこのためね。



そんな、呑竜のベテラン・カラオケ客の中で、ひと際の“呑竜通”はレパートリーで呑竜オリジナル・ソングを歌うのよ。



この呑竜に特化したオリジナル歌謡曲は、呑竜が昭和57年(1982年)に大火事に見舞われた後の再建記念として作られたもの。



作詞・作曲は、当時界隈で “流し” (お店を回りお客さんの要望でギターやアコーディオンで音曲を弾いたり、生伴奏をする商売)をしていた佐久間清詩さんという方。呑竜も彼の仕事場の一つできっと愛着があったのね。ちなみに、数年前よりこの佐久間さんの消息が不明となっており古いママさんたちはどこに行ったのか気になっているみたいよ。



さて、この復建再スタートの曲として、ママさんや常連さんたちに歌い次がれてた呑竜オリジナル・ソング。いったいなんて曲でどんな歌か気になるでしょう?



なので...



♪〜(前奏)


歌は世につれ、世は歌につれ、


焦がれた女の心根は、いつの時代も歌につれ、


ネオンかがやく宴の中で、芽生えてしまった恋つぼみ、


今日は来るのか、来ないのか、


あなたの気持ちは分からぬも、相思と夢見て酔いたい女


花の咲く日は長くも待つは...



ヤギカフェ・ママが歌います...



「呑竜恋歌」

           作詞・作曲 佐久間清詩


<一番>

あなたの浮名を、お手元裏に


書いて結んだ、恋の指


抱いて待ちます、ネオンの花


夢は浅くも、酔いたい女


ああ前橋、ここは呑竜、恋の横街


 イメージ写真(2007年撮影)



<二番>

広瀬のせせらぎ、ナミダをさそい


ひとり芝居の、空しさを


酒でうすめる、ネオンの花


うそでいいわよ、好きだと言って


ああ前橋、ここは呑竜、恋の横街


数年前、弁天通りにある弁天村さんと地元ミュージシャンの協力で初めてCDを製作。



<三番>


千代田の恋風、ささやくように


窓で呼ぶのよ、意地悪ね


それも気休め、ネオンの花


花の咲く日は、長くも待つわ


ああ前橋、ここは呑竜、恋の横街





ハンニャ

実際の曲を聴いてみたい方は、界隈で呑竜通い30年以上のママさんや常連さんに「呑竜恋歌」のことを聞いて見るといいわ。



ほろ酔い気分の方なら、即興で歌ってくれるかもしれないわよ。


最近、若い人たちの中でも呑竜でカラオケを楽しんでいるのを見受けられ良い事ね。そんな子たちも是非、「呑竜恋歌」を覚えてもらって歌い次いでいって欲しいわ。



ハァハァ(息切れ)...






呑竜の“歯抜け場所”

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



朝夕が涼しい日々が続いていたので、そろそろ昼の暑さも潮時かしらと思っていたら...今日は久々に結構な日差しが照りつけ、外で昼寝をしていたら火が付きそうになったわ。



まったく30年前の呑竜みたいに丸焼けになるのはゴメンよ。



そうそう、“呑竜の丸焼け”で思い出した歴史話だけれど...



皆さん、裏弁天通りから呑竜仲店を眺めて変だと思った事はないかしら?



普通、商店街などいくつかのお店が立ち並ぶ場所は、ある一定の空間に “収まっている感” があると思うのだけれど、呑竜はどこか “歯抜けな感じ” がしないかしら??長屋作りなのに左右同じ幅(店舗数)になっていないのが不思議と思わないかしら?





実は、この “歯抜けている” 場所に昔、店舗があったのよ!



1982年(昭和57年)の呑竜大火災の1年後、新たな仲店が建てられたのは以前お話したわね。全20店舗で再開した新・呑竜...しかし、火災を機に地主である大蓮寺と再建に関して大きく揉めた経緯があるのよ。



どうゆう理由があったかは、当時の人々が口を閉ざしているのでわかってはいないのだけれど...呑竜が火災になった後、地主である大蓮寺側は、呑竜再建を望まず全面駐車場にしたいという希望があったそうよ。



駐車場案には、それなりの理由があったのだと思うのだけれど...焼き出された呑竜の店主たちは再建を強く望んだわ。互いの話し合いでは折り合いが付かず事は、裁判へと発展...結果、呑竜再建へとなったのだけれど...



資金の関係で、呑竜仲店の敷地は以前の約半分。再建した後もお寺さん側は残りの敷地を駐車場にしたいという希望が(当時)強くあったらしく、協議の後、大蓮寺の希望が叶い、駐車場抜け道に位置していた店舗が取り壊される事となったの。



現在全19店舗となんだか半端数字で形成している呑竜仲店の裏にはこんな隠れ話があったのよ。普段なにげなく見ていた場所に店舗があったなんて思うと何だか不思議な感じね...ハァハァ(息切れ)。












呑竜の提灯

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



ずいぶん陽も長くなってきたわねぇ...と思ったら、今日6月21日は夏至だったようね。聞いたら日の入りは夜の7時頃らしいじゃない。呑竜の提灯が灯る5時半頃なんて、まだまだ外は明るく、冬とは通りの雰囲気が全然違うわよね。まぁ、野良猫の私にゃ明るかろうが暗かろうがまんねん寝てる訳だから関係ないけれど...



そう言えば、今じゃすっかり呑竜に馴染んでいる通りの提灯...実は近年設置されたの知っているかしら?




ヤギカフェのママが持ってる2008年の写真では、この通り...


 

通りに提灯が付けられたのは2010年の12月頃だったかしら...?その時期、どうやら各店、景気があまり芳しくなく、稼得に非常に苦労していたらしく、珍しく呑竜仲店内で緊急会議が開かれたのよ。実は近年しばらく行なっていなかった「日掛け箱システム」を再導入したのもこの時。同時に、なんとか呑竜自体にお客さんをもっと増やす術がないかと話し合った結果、通りの “賑やかさ” “明るさ” を演出する提灯設置案が出たのよ。



仲店通りに18張、弁天通り側の入り口に7張...赤と緑の提灯が計25張...会議から1ヶ月も経たないうちに素早く設置されたわ。



効果の程はというと...日本人は提灯とお祭りとを無意識に関連付けるのかしら...以前より気になって通りに入ってくる人は多くなったような気がするわ。特に夜8時以降になると弁天通りアーケードの電灯が消えるので気づき難かった呑竜入り口が目立つようになったわね。たまに遠出して帰りが遅くなる私も、目印が出来たので迷わず仲店へ戻れるようになって安心よ。




とにかく、提灯設置は(仲店への)ちょっとの客寄せの刺激にはなったんじゃないかしら...??まぁ、人が通ってもお店の中まで入って来なきゃ商売になりゃしない訳だから、各店容易じゃないのは変わりないわよね。



タイマーでセットされて夕方5時半頃から深夜0時頃まで毎夜、呑竜仲店は明るく灯っていますわよ。陽も長く、夜出もそんな億劫じゃない夏は是非、呑竜も足をのばして提灯の下で一杯引っ掛けてくださいニャ〜...と、地域猫の義理で言っておくわ...ハァハァ(息切れ)。







無縁の地...呑竜

 ハァハァ(息切れ)...ハンニャです。ハンニャ



暖かくなって野良猫にとってはのんびりお昼寝に興じることができるようになったわ。



しかし、どうやら人間の世界ではこの時期、新生活が始まるやらで色々と慌しいようね。新入学や進級、新入社や昇進...職場の異動など、新しい環境や境遇に対応しなければならずストレスも溜まりやすい時でもあるようね。



そんな新生活の気疲れも多くなるのか、今日も“ひと時の癒し”や“息抜き”を求め大衆酒場やスナックの集まる呑竜仲店に足を運ぶ人間を多く目にするわ。





俗世を離れて色々なものから “無縁” となった者同士が過ごせるある場所は人間にとって思いのほか重要で、ある意味パワースポットのようね。




パワースポットと言ったけど...まんざらおかしな表現でもないのよ。呑竜がストレス発散の場、人が “リフレッシュ” できる場になったのも不思議な巡り合わせのように感じるのよ。








実を言うと...ビックリしないでね...呑竜仲店のある敷地は昔(1947年・昭和22年以前)、大蓮寺の所有する お墓 だったのよ。







1945年(昭和20年)の前橋空襲を受け大蓮寺も焼失。その後、お寺は再建に伴い同寺東にあった墓地を移転し、跡地を復員兵などが日用品などを売りながら生計を立てられる商店街...呑龍仲店(通称:呑龍マーケット)の敷地として提供したのよ。

(注:当時、呑竜は呑龍と表記された。)





墓地を提供できたのは理由があって、かつて(戦前)大蓮寺の住職であった蓮池忍冏とい方が、率先して火葬を奨励し土葬を受け付けなかったため、この墓地は無縁仏(弔ったり供養する縁者が現世にいない死者)が多かったらしいのよ。そして、これが幸いし、戦後復興計画に基づく呑龍マーケットの敷地に選ばれたらしいの。まぁ、結局は戦後の大変な時期に無縁仏の眠る土地をどうしようと文句を言う人間がいなかったということのようね。

(注:日本は明治半ば頃まで埋葬は圧倒的に土葬が多く約1割程度が火葬。火葬が普及されたのは戦後のこと。)



こうして今も存続している呑竜仲店。今日も人々は墓場に足を運び、一夜の無縁仏となって宴を楽しみ、生まれ変わって明日を迎える...





土地の巡り合わせというのはなんだか不思議なものね。墓地に野良猫...呑竜に野良猫...なにか惹かれるものがあるのかしら...



ハァハァ(息切れ)...




 


呑竜の大火災

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。

どうやら3月というのは、春季の火災予防運動(3月1日〜7日)という啓発活動が行なわれる時期のようね。まぁ、そんな事、ほとんどの人間だって知らないでしょうけど...前橋市の広報に載ってたわ。“地域ネコ”にもなると市の広報なんかも届けばじっくり目を通してしまうのよね。


火災と言えば、呑竜だって日々用心しないといけない問題よ。ここだって以前、火事で大変な目にあっているんだから。


1982年(昭和57年)、1月18日、午後5時5分頃、当時中心市街地に残る最後の木造大型マーケットで火災を知らせる非常ベルが鳴り響いたわ。


飲食店が密集していた場所だけに火の回りは早く、瞬く間に大火災。
スズランやニチイ(現・“にこにこパーキング銀座通り”という駐車場)、西武(現・元気プラザ21)などの大型デパートの方まで黒煙に覆われ、国道17号や立川町通りも交通マヒ状態。まさに街中の大惨事だったのよ。


結局、近隣ビルなども合わせ焼失面積は約660平方メートル。仲店内にあった30数店舗のうち23店舗が全半焼。当時、呑竜には2階があり住居になっていたのでそこからは6世帯が焼き出されたのよ。


ただ、幸いなことに死傷者はなし。


発見通報が早かったのと、多くのお店が開店する前の時間帯だった事、それと上州特有の北風(からっ風)が無かったので被害があれだけで収まったとも言われているわ。


火事の原因はガス器具の不始末。


丸焼けになった呑竜は、現在の建築基準法制定以前に建てられた既存不適格建造物とされていたため、その後、厳しい再建への道を歩むこととなったのよ。


しかし当時の店主たちや常連客...とりわけ、今なお、ママさんがネオンを灯し続けている「由多加」の故・マスターが尽力し僅か1年数ヶ月で今の呑竜仲店を建て直したのよ。まぁ、苦労話を語りはじめたら尽きないわ...




とにかく、今在る呑竜仲店は火事後の遺産。野良ネコの余計なお世話だと思うけど...立て直した思いも含めて大事にしないといけないわね。


まぁ、呑竜の古株は、火事と聞くといつもあの大惨事を思い出してしまう性分なのよね。


ハァハァ(息切れ)。



 


2月9日の看板事件

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。

1年前の今日、2011年2月9日。朝から雪がぱらついていた寒い日に呑竜で悲しい出来事が起きたわ。


ある悪質な工事業者が裏弁天通りに面している呑竜の看板を無断で切断し高さを勝手に上げるという信じられない工事をしたのよ。 



無断と言うことは呑竜側にもその地主である大蓮寺にも事前に何も話がなされていなかったということ。もちろん近隣住民も狭い路地に大きなクレーン車が入って来ることなど知らされていなかったわ。


さらに、悪質だと感じざるを得ないのは、意図してかしていないのか...多くの商店が休みの水曜日に業者としては考えらない朝九時前、七時とかそれくらいより危険な工事を始めたことよ。


とうぜん呑竜側も抗議をしたわ。地主である大蓮寺も迅速に対応し、呑竜側と業者との間で話し合いをするよう仕向けてくれたわ。ただ、残念だったのは、呑竜側の代表者の取るべき態度と対応がずさんだったため、結局、その工事がなぜ必要であったのかもわからず、業者にずさんな補修工事をされただけで事を決着させてしまったことよ。


いかなる状況でも口出しや手出しは自らの権限を侵されていると感じてしまい、出来る人に任せたり耳を傾けない人間さんって複雑ね...きっともっとよい終わり方はあったはず...




呑竜の老朽した看板なんて一部の店主にとっては愛着のあるものかもしれないけれど、多くの人にとっては(地域に住んでいる人だって)どうでもいいものよ。あんなもの宣伝にだって客寄せにだってなっていないもの。それが本当のところだと思うわ。



ただ問題なのは、人間...もちろん野良猫だって忘れないでね...が生活をしていたり商売を営んでいる場所を一部の利己的で安易な考えで勝手に壊したり傷つけたりする行為をしたことよ。


一度そういうことをする人たちは、きっと別の、もっと大事ことや物、住んでる地域や自分の生活にさえも跳ね返ってくることに対しても同じような事をしかねないわ。もしかしたら、そういう行為をしている人たちはその自覚すらないのかも知れない...だとしたら注意をすべきだし、そういうことが起らないようにしていくことが土地で生活するということじゃないのかしら。


相手が怖そうだからってよくない行為を見て見ぬ振りや無かった事にしようとしたり、起こった事実を大ごとにしたくないから、責任をとりたくなりからといって関係のある人たちに伝えないということはしちゃいけないわ。


今の時期看板の下をくぐるとあの事件を思いだし、人間のことだけれど...何だかか悲しくなるわ...ハァハァ(息切れ)

 


「呑龍仲店街創設計劃書」

 ハンニャハァハァ(息切れ)…はじめまして…ハンニャです。

先日65周年を迎えたここ呑竜仲店商店街。寒さが増すにつれ仲店の客通りも少しさびしくなっているように感じるわ。

まぁ、人間の世界では「二八(にっぱち)」と言う俗語があるらしく、飲食店など小売店では2月は寒さで8月は暑さで客足が減り景気が悪くなるらしく、大変な時期のようね。

たしかにこの寒さじゃ野良猫だって引きこもるわ。早くなんとかならないかしら…

でも考えたら呑竜がオープンしたのも2月にさしかかる昭和22年の1月25日。「二八」の話があるのになんでそんな時期に開店したのかと思うけど、当時の「呑龍仲店街創設計劃(画)書」にある趣意を見ると寒さなんかに負けてられない戦後復興の力強さが感じられるわね。

創設計画書(趣意書)の内容はこんな感じよ...原文は異字体がありパソコンでの表記が難しい部分と、擦れなどにより解読困難な部分があったので完全なるコピーではないことをご了承ください。


「呑龍仲店街創設計劃書」

“前橋市ノ復興ハ官民一体・協力ニヨリ全國的ニモソノ成果ハ大キク此(こ)ノ成果ニ應(こた)ヘテ、明朗前橋ノ飛躍的発展ヲ期シテ呑龍仲店街ノ企畫(きかく)ヲ茲(ここ)ニ発表スルコトハ、私共ノ最モ欣ヒ(よろこび)トスル處(ところ)デアリマス。
場所ハ市街・中央辨天通リニ立シ裏辨天通リニ抜ケル二八五坪餘(あまり)ノ敷地ニ二一五坪余リノ別載ノ如キ大伽藍ヲ建設シ、三〇餘ノ店舗ヲ一堂ニ集メ雨天ト雖(いえど)モ雨具ナシニ漫歩出来ル最モ理想的ナル一大商店街ヲ出現サセルベク而(しか)モ建設ハ大刀根組最優獨得ノ技術ト熱意ノモトニ各店舗ノ設計ニハ各経営者ノ専門的ナル工夫ト営業内容ニヨル特殊意匠ヲ凝シ、一大娯樂場トシテ且(かつ)又一日用品雑貨其ノ他横ハ大百貨街タシラメ市民各位ノホープトシテ相見(まみ)ユルニ期シテ居リマス。
有志各位ニハ意アル處ヲ諒(あきらか)トセラレ目的達成ニ絶大ナル御賛助アランコトヲ切望スル次第デアリマス。”


この文章を誰が実際に書いたのかは私もしらないのだけれど、きっと当時の市民の熱い思いを代弁しているのだと感じるわ。空っ風が吹く中での呑龍開店は待ち望んでいた人たちの熱気で寒さなんか関係なくなっていたはずよ。


それにしても、いくらお寺(大蓮寺)の敷地だからって、“大伽藍ヲ建設”って…


でも「各経営者の専門的なる工夫と営業内容による特殊意匠を凝した大娯楽場」というのは今の呑竜にも引き継がれているわね。若いお店も増えているし店主の熱気も消えずに続いてきているんじゃないかしら?



2月に入り冬も厳しさを増しますが、まだまだ熱い呑竜一大娯楽場で寒さを吹き飛ばしてみてはいかがですか?...と一応広報係りなので言って見ますが、わたしゃ炬燵で丸くなりたいですよ。家猫いいなぁ〜。ハンニャでした。ハァハァ(息切れ)。

 

 

 


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