呑竜仲店名前のいわれ
今日が、新年明けて初めての 「界隈知ってなるほど!」。
2014年も、ますます呑竜やヤギカフェの周りにあるもの・起こる事に興味を持って記事にしていきますので、宜しくお願いします!
さて、そんなご挨拶をしちゃったけれど...
しばらく出番が来なかったので...
すっかり怠けて...
記事にするネタを...
持ち合わせてなかったり...
困ったぞぉ〜!!
う〜む...呑竜の回りに何かないかなぁ〜(焦り)...急に探すのはやっぱ無理だよなぁ〜。
あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ...(焦り)
はッ!
そういえば!
当たり前過ぎて見過ごしてた知らない事がありました!
呑竜仲店ってよく考えたら何とも不思議な名前!「呑」っていう字があるから、なんか飲み街ぽっいイメージがあるとは感じてたけど...竜(ドラゴン)がこの界隈に現れるなんておとぎ話なんてのも聞いたことないし...
一体全体「呑竜」ってなんの意味があるんだろう!?
そこで...あっちで、ふむふむ...こっちで、フムフム...
見たり聞いたり、調べてみたら...
どうやら...群馬県民ならお馴染みの 「上毛かるた」 にある、ひと札の...
「子育呑龍」に関係があるんじゃないかという事がわかったよッ!
「子育呑龍」...とは、江戸時代に実在した呑龍上人(1556年〜1623年)という浄土宗の大変立派なお坊さんの愛称。
彼は今の埼玉県春日部市の出身らしいんだけど、1613年に時の将軍・徳川家康が一族の繁栄と始祖である新田義重を祀るために新田氏の本貫地でもある群馬県は太田市に今もある大光院(正式には義重山大光院新田寺)というお寺の建立を企画し、その開山・開基・住職役に呑龍上人が選ばれたんだって。
そして、「子育〜」の由縁は...
戦国時代の残余がまだある世の混乱期に加え天災などの影響で捨て子や間引きが横行していた時に、呑龍上人はそれを憂いて自らその子供たちを弟子の名目で受け入れ養育したところから付けられた愛称なんだって!そんな高徳な行為と人柄で呑龍上人は当時の民衆から絶大な崇敬と信仰を集めたのは言うまでもなく、今も上毛かるたで語りつがれているんだから偉大だよね!
さて、いよいよ本題...
その呑龍上人と呑竜仲店の関係とは...
ヤギカフェのホームページにもあるように、呑竜仲店の地所は同町内にある大蓮寺もの。
大蓮寺は1505年に建てられた呑龍上人と同じ宗派の浄土宗のお寺で弁財天(芸能や水の神様として有名)を祭っているんだけれど、同じ群馬県内で厚い信仰を集めた呑龍上人の功徳も多くの人々に伝えたいという考えがあるだって!本堂にも上人の本尊が祀られているらしく、昭和40年か50年んくらいまでは毎月8日に“呑龍さまの縁日”なんてのも行なっていたらしく露店や笹で出来たお守り(?)のようなものを貰ったと覚えている地元の人も多いみたい。
呑竜仲店の名付け由来を知りうる決定的な証拠や人にお会い出来ないので正確情報とは言えないのかもしれないけれど...
つまりは、呑龍上人の精神を受け継いでる大蓮寺...第二次世界大戦後に戦災で生活に苦しむ方や復員兵が呑龍上人が救済した生活困窮者と同じに見え土地を貸出し、呑竜(当初は呑龍と書いた)と名付けた仲店(社寺の境内にある商店街)を建てたんじゃないかというのが今回辿りついた答え。
大蓮寺が呑龍上人と関係があると思えば、なかなか説得力のある 「なるほど!」 だよね。
でも...呑龍上人もさすがに自分の名を冠した飲屋街が出来るとは想像もしてなかっただろうなぁ...
今回せっかく呑龍上人に関しても見聞きしたから、次回はもっと詳しく彼について「知ってなるほど!」しようと思ってるよ!
それでは、新年初のダチョウでした!
- 2014.01.23 Thursday
- 界隈知ってなるほど!
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- by ヤギカフェ日記執筆隊
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