呑竜大火の痕跡

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



呑竜仲店の大火災が起きたのは、ちょうど33年前の今時期...1月18日。



忌わしい火事の記憶と経験は、その後再建されたマーケットの至る所に影響を及ぼしているのよ。



新築された共同店舗施設は、当然、耐火構造となり各店舗前には防火警報機も設置されたわ。








そして、いつでも消火活動が行えるよう、通路にも消火器を設置。




入居店舗にも消火器の設置は義務付けられているようね。



そして、呑竜の大火は、物理的なものだけでなく、店主たちの心理面にも影響を及ぼしているのが明かよ。



呑竜倉庫を覗いて、周りを見渡すと...





こんなモノが...





永心寺(群馬県・富岡市七日市)の火伏不動明王尊の御札...火難よけのお守りがひっそりと貼られていたりするわ。



その後の商店街に有形・無形の影響と痕跡を残した呑竜火事の歴史。1月18日は、マーケットに大きな変化をもたらした日として記憶され続けるわ。



ハァハァ(息切れ)。





 

呑竜ホームページや事典の裏にある歴史

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



5月には、「呑竜仲店公式ホームページ」...6月には、「呑竜事典」なるものが作られ、少しづつだけれど商店街に何か変化をもたらそうとする動きが出てきているようね。



ホームページにしろ事典にしろ意図するところは、呑竜のことをより詳しく知らしめ、客足と新規参入店の増加のようね。呑竜事典なんかを見せてもらうと、呑竜新規入居希望者に対して細かい呑竜の歴史、協同組合として成り立つ組織の仕組み、多岐にわたる出店条件や規約事項がうるさいほど書いてあって、他の商店街からは何もそこまでと思われる内容になっているけれど...まぁ、呑竜の歴史を反省するとそういうモノも必要になってくるのかもしれないわね。






呑竜が火事からの再建を果たした80年代から90年代はじめは、まだまだ景気も良くチェーン店も少なかった為、横町もそれなりの賑わいを見せていたわ。お店の出店希望者も多く、呑竜のような4坪〜5坪の小さな店舗も月5万円以上でも借り手がついたほど。


しかし、90年代後半からは、人々の飲食店に対する趣向の変化や低価格な品を提供するチェーン店が増えたこともあり、「昔ながらの飲み屋街」の客離れは深刻化。2000年代になると家賃を3万円代に落とさざるを得ないほど商店街の運営は苦しくなったの。



一時は夜の大繁華街の名を馳せた呑竜の家賃引き下げは、その知名度を味方につけ成功を夢みる熱意のある若手開業者を引きつける可能性が十分にあったにも関わらず、商店街組織内部の運営方針までもは改めなかったため、裏目に出てしまったの。



景気の良い時代の感覚のまま商店街を運営していこうとしたため、古株店主と新規参入者の間に多大なわだかまりが発生。また、「低額家賃であり商店街の知名度もあるから何とかなるだろう」と楽観視し、同じように考える軽い気持ちの方を入居させてしまった結果、家賃の大幅な滞納や夜逃げをされるようなことが出てきたの。



こんな近年の呑竜の負の側面を見聞きし、公式ホームページや呑竜事典のなどが試みられたのなら、多少のうるさい内容だとしても皆納得できるんじゃないかしら...?



とにかく更なる新しい試みにも期待しつつ...今後、呑竜がどのように変化していくかを見るのは私も楽しみだわ。



ハァハァ(息切れ)。



 

フラッシュバック1983

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



今月(3月)初め...種々課題を抱える呑竜では全体会議なるものが開かれ、今後の商店街のゆくさきについて話し合われたみたい。



結果...いよいよ、呑竜も新しい動き...新陳代謝が進みそうな内容でまとまったみたい。



古い場所が故に、蓄積された課題も多いけど...今の店主たちの気持ちは、31年前、大火を経験協同組合として再建を果たし、いよいよ落成式(1983年12月23)を迎えた店主たちと同じだと思うわ。

















新しい試みに対して、この先どう進んで行くかの不安と期待は当時と同じ。



「呑竜で(商売を)やって行く!」という愛着心だってきっと同じはずよ。



さぁ、これから呑竜がどう新しく変化していくか期待するわ...

 

ハァハァ(息切れ)。










 

呑竜大火災の副産物

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



新年明けてはじめての登場...



すっかり2月になって...底冷えの日々...空気も乾燥して巷ではインフルエンザが流行しているみたいだわね。私も気をつけないと。



それと、この乾燥する時期...用心しなくてはならないのが火の取り扱い...以前もお話したよう、呑竜は昭和57年(1982年)1月に大火事に見舞われているんだから特に注意して欲しいわね。



そうだわ!今日はその呑竜の大火災にまつわるちょっとした...いや、くだらない歴史話をご紹介しようかしら。



奇跡的に死傷者をださなかった大火事の後、わずか1年数ヶ月で再建した呑竜マーケット。



新しい長屋は...火事の教訓を生かして...より強化して各店舗に消火器や火災報知機、年に1度の消防点検の日を設けるなどの予防と備えをするようになったわ。



そんな中...



なぜだか...通路店先には...



江戸の町の水溜桶ならぬ



バケツたち



が置かれるようになったの...














火事になったら...こんなバケツじゃ役に立つはずはないと思うのだけれど...



災害を経験した者の...火事予防の...“祈り”...“まじない”...とも思える習慣がずっと続いているの。



これは、仲店に新規参入があると古株店主のひとりが、「バケツを置くように」という指示をだしたり...時には勝手に用意されるという事があるから。「もし、こんな火消し水でもあったら!」と思わせるほどの忌まわしい経験だった事が伺えるわね。



バケツを置くこと自体、特に営業に差し障ることでもないから、人々はとりあえず“言われた事”として設置してみるようだけど...結局、その意味・重要性のなさからバケツたちは徐々にないがしろにされていくのが常ね。










ヤギカフェに関しては、バケツを悪さする野良猫を寄せ付けない水撒き目的に転用したかと思ったら...



いつのまにやらバケツが手動加圧噴霧器になってたりして、形すら変化。



お客さんからすれば、一見、店主さんたちが必要があって持ち合わせているのかと思われる通路のバケツ。実際今では、各々の用途で使用されてたりもするのだけれど...実は、あの大火災に起因する歴史的副産物だと私は感じるわ。



このバケツがある事で二度とあのような災害が起こらぬことを強く願うばかり。





皆様もこの時期、火の取り扱いにはくれぐれも注意し欲しいわ。



ハァハァ(息切れ)。




呑竜の坪庭

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



11月にもなると、めっきり気温も低くなり、冬の気配をすぐそこまで感じるようになるわね。



こうなると、朝からお日様が射してる所を探して、ただただジッと太陽を浴びる日々が続くということ...




ブログを書く順番が回ってきたって、ただただ日のある所で温まる...



実は記事(ブログ)のアイディア(ネタ)が浮かばないから、
                    ただ呑竜東口駐車場を眺めてたり...



...



!!(ネタを見つけッ!)


そう!この一見何もない駐車場...何故だか昔より小さな坪庭があるのよ。



よーく見て...




近寄って見ると...




ほら!





実は、この庭、ヤギカフェが入居する2007年前から存在していたむき出しの土地。



                                                        2008年撮影

おそらく、呑竜再建当初(1983年)よりあったと思われる坪庭。



大火災の後、急ピッチですすめられた突貫工事で出来た(?)不思議な土地。



2009年には、駐車場劣化の為に補修工事がなされたのだけど...



やっぱり残されてしまって不思議な坪庭...




それは、偶然出来てしまった土のある空間に、あってもなくても良いプランターを...特に手入れをしているわけでもない植物たちを置き続けていたが為に...ただ時間のみが過ぎていった不思議な一画。補修工事の際も施工者さんが気を使って手をつけず残こり続けてしまった呑竜の坪庭。



コンクリート化した敷地にある、おそらく30数年むき出しの呑竜原生地。




今は、もっぱら野良猫のお気に入りトイレ場になってたり...



ここまで時間が経つと、
       もはや何か意味を成す呑竜歴史の一部と感じるのは私だけかしら...



ハァハァ(息切れ)。





呑竜・伝説の公衆便所

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



ついこの間まで、暑い暑いと言っていたのがウソみたい。



最近はめっきり肌寒くなって、夏と比べてトイレが近くなってきているのを実感するわ。



そうそう、トイレで思いだしたけど...その昔、呑竜仲店には、訪れる人々の記憶に強烈に残る有名な公衆トイレがあったのよ。



以前もお話したけれど、1982年(昭和57年)の大火災前の呑竜は、今よりも大きな敷地に30数戸の住居兼店舗がひしめく木造大型マーケットだったの。しかも、各店舗に併設されているお手洗いはなく、唯一マーケット内に公衆便所があっただけ。


            1982年当時の呑竜敷地の見取り図(当時の資料を基に作製したが一部不明な箇所あり)


               公衆トイレのあった場所は...今、駐車場になっているこのあたり??



男性客が大半を占める飲み屋街唯一のトイレ...



肩がぶつかる程の人出があった当時の呑竜...酔ったお客の狙いは当然定まらず...その公衆トイレを知る全員が今でも記憶し口を揃えて言うのは...





「あの便所は臭かった。」



トイレには掃除当番札があり、それを見るたび 「大変だなァ〜」 と同情していたお客さんもいたほど掃除はしていただろうけど、とにかく汚かった伝説のトイレ。



お店の一見客がトイレに発つと、その後を店主(ママ)が付いてきて見張ることも。当時は、手洗いに行くと見せかけて飲み逃げするたちの悪いお客もいて、2,3回通わなきゃ信用されないなんてこともあったらしいわ。



面白いのは、今でも呑竜に通い続けているベテラン客(60代後半から上)の中には...現・呑竜の各店舗にはトイレが併設されているにも関わらず...酔っ払うと 「便所いってくる〜」 と言って外に出ようとする方(人によっては無銭飲食ではないことを証明するために財布を置いて外に出ようとする)や 「あれ〜!?便所どこだっけ〜?」 と当時の場所をうろつく千鳥足の他客を見る事も。まぁ、それだけ知る者にとってあの呑竜の公衆トイレが鮮烈記憶されているということね。



ただ、この記憶に起因する、“公衆便所が残した負の遺産” があるの...



それは...見つかるはずのない公衆トイレを探した挙句、我慢できずに “用” を外でする人がいる事。



不思議と人は、ある特定の場所に惹きつけられるらしく...現・呑竜の“用足しの鬼門”となっているのは、この数箇所にほぼ限定されているのよ。


                           電柱が(男性用)便器に見えるのかしら??



正確には、呑竜の敷地内ではないけれど...目と鼻の先の店舗わき。きっと迷惑だと思うわ。

   元・公衆トイレにかぎりなく近い場所...


酔っ払いにはムクゲすら便器に見える???

             

死角になり易い場所は...安心?安全?ホッとする??


悪臭で迷惑するご近所住民や仲店内の店主さんが、大事な時間を費やして掃除をしなくてはならなくなるので、この呑竜の歴史が導いた “クセ” だけは是非とも止めてもらいたいものだわね。



急に冷え込んで...トイレが近くなったで思い出した呑竜・伝説の公衆トイレ...



現・呑竜仲店をご利用の皆さま... お古い場所ではございますが、各店主ともに清潔を心掛けておりますので、“用” は何卒各店舗内でお済ませくださいませ...と一応宣伝しておくわ...ハァハァ(息切れ)。







呑竜の景観

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



学生は夏休み、世間はお盆が近づき、チラホラ呑竜界隈にも前橋に帰省した人たちがフラフラしているわね。



毎年故郷に帰ってくるたびに、この辺をお散歩するのか...呑竜を見渡し、「なんか、また雰囲気変わったね」 や 「前とイメージ違うな〜」 なんて呟くのをよく耳にするわ。



そう、毎日同じ場所にいるとなかなか変化に気づき難いけれど...確かに呑竜の景観は日々変わっているといっていいわね。



とくに面白いのは、呑竜のような長屋形態の小さな商店街は、意識・無意識に隣・向かいの店舗などに影響されて刻一刻と面持ちを変えていってように思えるわ。



ちょっとここ数年(4〜5年)を見てみると...



例えば、こんな電飾...



なぜ向きあったお店にあるのかというと、一方のお店が装飾したところ(正確にはお客さんが勝手に設置)、向かいのお店も 「これは良い!」 と思ったのか...はたまた対抗意識(!?)か...で、数日後には色違いのイルミネーションが取り付けられたの。



似たような例は他にも...



告知をしようと、あるお店が入り口に掛けたコルクボード。



「そういう方法があったか!」...と実際に思ったかどうかは定かではないけれど、すぐさま他店舗もアイディア利用。



狭い世界(商店街)での互いの影響力は意識・無意識に強いもの...中にはこんな、酷似したメニュー表や看板なんかもあったりして面白いわね。







“真似” というと聞こえは悪いかもしれないけれど...外観・景観・雰囲気作りの模倣は、「良い!」と思うから、 「お店のプラスになる!」 と感じるからするもの。ある意味、お店同士“追いつき追い越せの”の心理。



「これは便利そう」 と玄関前にすのこを敷いたら、さっそく他店も採用。でも 「まったく同じゃ癪だから」 と自分のところは色違いにすれば、 「ウチはこの色!」 と自己主張。



立て看板だって、どこかが置き始めれば、 「後に続け!」 と勢揃い。




センスが良いか悪いかは別として...誰にアドバイスされる訳でものなく、勝手に、意識・無意識に互いに刺激・影響されて形成されていく呑竜の景観も、これまた歴史と言えるんじゃないかしら。



ハァハァ(息切れ)。









呑竜に現る水模様

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。



だんだんと日も伸びてきて、呑竜の夜ネオンがつき始める17時頃でもまだ夕方という雰囲気じゃないわ。こうゆう日よりを感じると、いよいよ夏に近づいてきたと思うわね。



毎年規則正しく繰返されるお天気・地球の動きというのはなんとも不思議。しかしながら、呑竜を見渡すと、もっと不思議な、規則正しく繰返される現象があるのよね。



ほぼ毎夕、17時半〜18時の間に呑竜通路に現れるこの水模様...



呑竜が大火事に見舞われ1983年に再建されて以来ずっと現れる...呑竜史上に残っていくであろう“現象”になっているわね。



実はこの水模様...夕刻に通りを歩かれた方は目にしたことがあるかもしれない...とある古株店主がウン十年とり行なっている「打ち水」



今となっては、何故どうして始められたのかがまったく遡れなくなっているこの「打ち水」。雨の日も、風の日も、凍るような極寒の冬日もおこなわれ“習慣”を通り越して“現象”となった呑竜夕刻の「打ち水」。





近年、アパートのコンクリート部分の劣化原因が雨水でありその修繕には大変な費用が掛かると管理人に聞かされ、一度 “打ち水廃止宣言” を勝手に申し出たのにも関わらず、その二日後に再び当たり前のように始まった「打ち水」。



まったく自然現象にも劣らない不思議さを抱かせる呑竜の“現象”...


1984年某新聞に掲載された写真



毎夕現る呑竜の水模様...こうも時間が経つと、ある種の“虚構の現象”が呑竜のひとつの歴史になりつつあると言えるわね。まぁ、野良(猫)からすれば、そもそも人間の歴史なんてそんな現象の積み重ねなのかもしれないと思ったり...ハァハァ(息切れ)。




 

呑竜は脱皮の産物!?

ハンニャハァハァ(息切れ)...新年...



あけまして...2013年最初の...「呑竜歴史」 ブログ...


ハァ...ハンニャです。



人間の世界では今年はヘビ年なんていうらしいわね。ヘビって年に数回脱皮して成長していくんですって?呑竜仲店もヘビ年にあやかって “もっと賑やかに” “もっと明るい通りに” なるように脱皮していって欲しいものだけど...まだまだ、脱皮といっても抜け殻(空室店舗)の方ばかり目につくようじゃダメよね(苦笑)。



でもまぁ、よく考えてみると、元々お店の移り変わりが激しいこの仲店なんて脱皮の産物みたいなものかもしれないわ。



例えば、以前ヤギカフェ・ママが紹介した、お店(ヤギカフェ)の看板ランプ。過去に別のお店で使われていたものが新たに生まれ変わって今に生きているのはこの通りではよくある事。



60数年の呑竜の歴史の中で残されていったり...時に(店主の夜逃げ的な行為などで)廃棄されていったものが、新たなお店に拾われ使われていって横丁を形成してきている様子は、“脱皮的” 言えなくはないかしら??



今ではすっかり “ブルーなお店” として定着している、2009年8月にオープンした、音楽好きが集う 「ライブ居酒屋・水星」。 実は、この個性的な内・外装をしたお店も、2008年7月からほんの数ヶ月存在した 「Side-B」 というお店が残していったものを、ほぼそのまま生かしているのよ。



「Side-B」の店主が改装し残していった...当初、誰もが奇抜さを感じた全面青色のお店を 「自分のイメージにあっていた」 といって借り入れ、自分好みの青色の店に変貌させた水星のマスター。Side-Bから水星...ブルーからニュー・ブルーへの移り変わりはまさに“脱皮”そのもの。



同じく2009年11月に呑竜に入居した 「居酒屋ラッキー」。今では当たり前のように佇むこの置き看板も実はかつて仲店内に存在していた 「どんぐり」 というお店が使っていたものを再利用したもの。今では製造していないのではないかと思われるこの古いフレームが新しいお店で再生され、“ベテラン風”、“レトロ風”を醸し出す良い演出になっているんじゃないかしら。







極めつけの呑竜 “脱皮” の産物は、こちら...「小料理・すみ子」...




一見なんのへんてつもない看板...でも、よく下の看板を見て見ると...





「ニューすみ子」 とあるでしょ。



“ニュー” とは、当然、“New”...“新しい”を意味するのよ。



実は、演歌好きのカラオケがよく響く 「ニューすみ子」(2006年10月〜) を経営する今のママさん...縁もゆかりもない...本当に澄子さんという名の方がやっていた「すみ子」というお店を名前ごと再利用しているのよ!



理由は、看板や残されていった名前付きのものを




「色々変えるの面倒だがね」



...



「すみ子」は「すみ子」として存在しているのだけれど...中身が変わっているのよ。これは、「すみ子」の “脱皮” !




2013年ヘビ年...時に良くも悪くも手を加えられ続けて、ヘビのように “脱皮” をし続けている呑竜仲店。ある伝説では、ヘビは脱皮を繰返すと竜になるという言い伝えもあるようだから、今年は真の呑“竜”に成長していくための“脱皮Year"になることを期待したいところね。



ハァハァ(息切れ)。







 

呑竜仲店協同組合

ハンニャハァハァ(息切れ)...ハンニャです。


どうやら呑竜にまた新しいお店ができるようだわね。今年の7月にも焼鳥・燻製の飲み屋が出来たみたいだし、通りが明るくなっていいじゃない。2店舗とも末永くネオンを灯し続けて欲しいわね。




ただ今準備中。12月開店予定...!?




2012年7月にオープンの焼鳥・燻製の飲み屋さんこと「のんきや」



どんな所でもお店を開くって大変なことなのでしょうけど...呑竜の新規参入者がまず戸惑い苦労するのが、この場所特有の組織体系とそこから生じる問題なんじゃないかしら。まぁ、これは呑竜の歴史と成り立ちに深く関わっている事だし、近年の新規出店・閉店の多さの原因にもなっていると思うので、今日はそれをお話しましょうか。



特有の組織体系と言ったけど...今の呑竜仲店の正式名所は、「呑竜仲店協同組合」といって、実は、法人組織なのよ。



これは、以前にもお話した1982年(昭和57年)に起きた呑竜の大火災に起因して生まれた組織なの。ほぼ全焼した焼け跡で途方にくれた当時の店主さんたち。何とか自分たちの職場を復活させたいとの気持ちは強くあったものの最大の困難はその再建資金。



当時(今でもそうかもしれないけれど...)、金融機関は料飲業者には厳しく個々にはなかなかお金を貸してくれなかったみたい。そこで、再建希望者20人(20店舗)で全国でも珍しかった料飲業者の協同組合をつくり、組合員1人あたり250万円を出資金(借金)として負担し共同建設費5千万円を捻出。そして、みごと呑竜再建を果たしたというわけ。



こうして、再建された1983年以降は1947年(昭和22年)に戦後復興のために建てられた個人商店の集合地から組合員の人たちで運営する新たな組織に生まれ変わったと言えるわね。発足時に出来たと思われる定款書を見ると...共同で施設を管理したり地代(土地は大蓮寺に借りている)を払ったりするのはもちろん、お互いに経営に関する知識・技術の向上に取り組んでいたり、まんいち組合員がお店に立てなくなった時の為に独自の福利厚生制度を作っていたり...小さい店舗でしかやっていく道しかないもの同士が協力して末永い商売が出来る環境を作っていこうという心意気が窺えるわね。



しかし、呑竜仲店協同組合発足から10年〜15年が経ち...飲食店に対する景気の陰りや人々の趣向の変化で、古く手狭な呑竜のお店には客足が遠のき、次第に店を閉めて脱退してしまう組合員が多くなったのよ。20人もいた組合員も一桁となるとさすがに運営も厳しくなり...施設の存続や運営費などを賄うため空き店舗に入る新参者からの賃貸収入に頼ることになったの。



ここから、特有の組織体系から生じる問題の話...



こうして初期の組合員の減少を理由に、呑竜再建時に出資金を出した店主さんたちは自分達を正組合員という家主的な位置づけとし、新たに飲食店を始めたい方を準組合員と呼び店子的な要員と見るようになったの。(*実際、協同組合として正組合員と準組合員の差が何なのかが新規参入者に正式に説明されることはないのよ。)



今年入った2店舗やヤギカフェはもちろん、近年入ったお店は全て準組合員というかたちで呑竜に入居したことになるわね。


2007年入居のヤギカフェ。最初は色々分からないことだらけでした...


時代の流れで、正組合員と準組合員という位置づけを作り出してしまったのは仕方ないとしても...そこから大きな問題が生じてきているの。空き店舗に流入する「若手」呑竜の店主(店舗数)は増えたものの、実際に運営・管理を行なうのは正組合員のいわゆる古株店主さんたち。



人数が少ない上に高齢化が進んでいるので、体力を使う施設のメンテナンス義務が疎かになり、新入居者とトラブルになったり。入店者に対し事前んに根気よく呑竜の歴史背景や協同組合に関する説明を怠り、結果的に店舗を荒らされたり壊したりして出て行ってしまう人達を増やしてしまい、そんな場所にまた人を入れトラブルとなったりと...とにかく事前の対処で起きるはずのない問題が多く目に付くようになったと感じるわ。近年、立地を気に入り意気込んで参入した方が、なかなかスムーズに営業できずストレスを感じ、1,2年で辞めていってしまうのが多くなっている一つの原因にもなっているはずよ。



高齢化に伴う不備が生じているなら、正組合員・準組合員にこだわらず、出来る人間に組合の運営を任せればよいと思うのだけれど...再建時に出資金を出した方々は「自分達がここを建てた!」という所有欲が強いのか...「再建の苦労を背負わなかった人が運営に関わるのは嫌だ!」という感情的なものなのか...なんだかよくわからないけど、新参者を運営に関われせる方向には話が進まないみたいなの。


ハァハァ(息切れ)



明るい新規店舗の話題から始めたけど...なんだか呑竜にとってマイナスなイメージを与える中身になってしまったわね(汗)。



とにもかくにも、今の呑竜の成り立ちがどうであれ...小さい店舗でも末永く商売を続ける環境を整える協同組合発足当初の心意気を忘れていないのであれば...縁あって仲店に集まってきたものどうし...老いも若きも...立場が違っても...協力してやっていかなきゃ揉め事が多くなりすぎて呑竜野良猫の私も心労しちゃうって話よ。猫は安心を求める動物...早く通りがもっと盛り上がって店主が野良猫構うよりお客さんを構うのが忙しくなってもらわなきゃだめよ。こっちは屋根上でヒッソリ落ち着いて寝てたいんだから。ハァハァ(息切れ)





 

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